自傷癖が
暴露される妄想をよくする
そういう願望があるんだと思う
慰めてほしいのか、自分が人と同じように普通に上手く生きられないことの言い訳、正当化の材料が欲しいんだと思う
私はメンタルが弱いから、人よりも傷つきやすいから、この情けない人格はどうしようもないものなんだ、ということを他者に認めてもらいたいのだと思う
実際に人は私の自傷癖を知ったらどう思うのだろう
あの傷を目撃して、彼や彼女達は一体何を思ったのだろう、いたそう、と言ったけど、遠慮なくそれを口にするということは、この傷がどんな経緯でついたものか理解していない可能性が高い
自傷という発想がまず存在しない人間には想像もつかないのだろうか
それとも、この人が自傷行為などするわけがない、相手のイメージと自傷行為のイメージとが結び付かないために、まさかその傷がアムカの痕なのだとは思い当たらないのか
いずれにせよ、人は何とも思っていない事が多いので、自意識過剰にしていると逆に理解されてしまう恐れがある
堂々としていればいい
COしたければすればよい
それで影響を受けてしまうような子はきっといないと思う
私が弱いから影響されたんだと思う
後悔は別にしていない
避けて通れなかったと思う
小学生の時から芽は吹いていた
なんなら幼児の頃から
遅かれ早かれこうなっていたのではないかと
そう思った
暴露してしまいたい 全部
ドストエフスキーは罪の意識は1人で抱えるには重すぎるから、そこには必ず暴露の衝動がついてくるものだと言っていた
これは罪の意識だろうか
許されたいという意味ではそうなのかもしれない
元々は罪の償い(自己満足の気休めでしかなく、実際は何の償いにもなっていないのだが)によって行われた行為であるから、間違ってはいないと思う
罪を犯しました、償う方法が無い、でも自分は罰されなくてはならない、故に自ら自分を傷つけなくてはならない
これが最初の自傷行為の原理だったと思う
最近は気分転換の意味合いが大きくなってきたが
原点は罪の意識だ
この話はまた別の機会によく考えることにしよう